井の中の蛙

日々の生活の中で感じたことを綴りたいと思います。

クローン愛犬

またまた気になったニュースがあるので一部引用しつつ、ざっくり説明します。長文の記事なので興味のある方はリンク先へ

news.yahoo.co.jp

ざっくり説明しますと、亡くなったペットをクローン技術で蘇らせるビジネスがあるということ。以下、利用者の声を記事から引用します。

「愛犬リフ」のクローンに会いに
2016年9月末。銀色のセダンが1台、スアム生命工学研究所の玄関に滑り込んできた。1人の男性が降りてくる。米国の医師で、「対面」のため太平洋を越えてきたという。
彼の話によると、愛犬「リフ」ががんになったことを知り、「死後」に備えてクローン作りを頼んでいた。実際にリフが亡くなったのは、2016年6月。そしてこの日、「リフ」のクローンに会いにきた。

愛犬「リフ」のクローン。2匹ともそっくりだと男性は言う(撮影:キム・ゼソン)
男性は施設の内部に入り、クローンが待つ部屋へー。その瞬間、彼は「ワォ」とも「ウォ」とも付かぬ声を上げた。「信じられない。本当にそっくりです」「奇跡だ」。リフの細胞から生まれたクローン犬は2匹。顔や姿、明るいクリーム色の毛並みまでほぼ正確にリフを再現できている、と男性は語る。
「おかえり」蘇ったペットにキス
男性はスタッフに「キスしていいか」と尋ねて、クローン犬を抱き上げ、頬ずりするようにキス。そして「おかえり」と言い、「ありがとう」を繰り返した。「私たちとリフの間には特別な絆があります。妻が最初の子どもを身ごもった時、家族の誰に対しても、リフは落ち着かせようとしてくれました。全員が穏やかに暮らせるようにしてくれたんです」

「リフ」の死から約3カ月。クローンを抱き上げ、キスする男性(撮影:キム・ゼソン)
男性によると、2015年の秋ごろ、この研究所の存在をニュースか何かで知った。1匹1千万円は確かに高い。それでも「代理母」の妊娠確率が100%ではないと説明を受け、クローンを2匹頼んだという。
“リフ”をその腕で抱いた後、男性はこう力説した。「クローン技術があれば、望めば望むだけ犬をこの世に留めておけます。科学の素晴らしい成果です」 

 

 

この記事を読んだ大多数の方は違和感を感じたのではないでしょうか??違和感というか、こんな人がいるのかと・・・

ただし、何事も動機が重要。この男性はなぜ愛犬リフのクローンの誕生を望んだのでしょうか。

例えば愛犬リフの見た目が気に入っており、見た目さえ同じであればどうでも良い。という理由であれば「はい、そうですか」で済ませてしまいます。そのような思想の人間とは関わりたくもないし、記事にする気にもならない。

問題は、愛犬リフを『心から愛している』からクローンを作ろうという発想があった場合です。そのような理由でクローンを作ったというならば、心から批判を申し上げたい。

これは持論ですが、亡くなった愛犬リフとクローンの愛犬リフは別の生き物です。科学的に、医学的に同一のDNAを持っていたとしても、生まれた場所、時間、誕生の瞬間からの記憶が違うのであれば全くの別の生き物だと思います。まさか心や魂、記憶までも複製したなんて言わないでしょうね?

愛情は目には見えません。それゆえに人は目には見えないものに愛情を注いでしまうものだと思います。たまたまそれが物質化しているか、していないかの問題です。なくなった愛犬リフに注いだ愛情をクローンの愛犬リフにそのまま転換させるのは飼い主の勝手なこじつけに過ぎないと思います。

この男性に対して思うことは、亡くなった愛犬リフの個を尊重し、しっかりと死を受け止めて頂きたいということ。新しく家族に加わった愛犬リフも別の個として愛することです。

なんとも心の痛むニュースでした。

 

 

何もしていない自分に辛くなった

先日、少し気になった記事を紹介します。以下、Yahoo!ニュース の埼玉新聞の記事を引用します。

高1が涙、道に散乱した紙拾い集め 鴻巣署が感謝状…見ないふり辛い


Yahoo!ニュース
 埼玉県の鴻巣署は4日、県道に散乱していた古紙を一人で回収した行田市在住、県立鴻巣高校1年の湯本里咲さん(16)に感謝状を贈った。見て見ぬふりをして通り過ぎる自分を受け入れられず、後先のことを考えずに一心不乱に集めた行動は、周囲の心を揺り動かした。

 自転車で通学している湯本さんは昨年12月21日夕方、鴻巣市屈巣の県道を通りがかった際、新聞紙や折り込みチラシが半径約3メートルにかけて大量に散乱しているのを目の当たりにした。一度はそのまま通り過ぎたものの、「何もしていない自分に辛くなった」と戻って来た。

 当初は古紙を自転車の前かごに積んで自宅に持ち帰ろうとしたが、収まり切れない。約500メートル離れたコンビニエンスストアへ行き、ごみ袋を買って戻り、再び拾い集めた。現場は交通量の激しい通り。湯本さんは青信号になるたびにひたすら拾い続けた。
 
 午後5時20分ごろ、同署に「女子高生が落とした荷物を一人で拾っている。かわいそうだから助けてほしい」と連絡が入った。署員が駆け付けると、すでにごみ袋3袋分、計10キロの古紙が回収されていた。持ち帰り方法を考えていた矢先に署員が到着。安心した湯本さんの目からは涙が流れた。
 
 高校ではバスケ部に所属している湯本さん。学校周辺のごみ拾いなど美化活動をしてから朝の練習に取り組んでおり、「学校でもやっているので当たり前と思って拾いました」と振り返った。
 
 市村知孝署長から感謝状を贈られ、湯本さんは「周りの事をもっと見られる一年にしたいです」とほほ笑んだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2017106-00010002-saitama-l11

 

日本という国は美意識の高い国です。ゴミの持ち帰りという文化は世界でも数少ないいのではないでしょうか?しかしそれでも今回のこの女子高生の起こした行動は日本人の中では少数であるためにニュースになりました。 ネットのコメント欄を読んでみると、やはり称賛の声が多いですね。私も正直、素晴らしいの一言に尽きます。

ただし、私は素晴らしいと感じる反面で不安とか心配をこの女子高生にたいして抱いてしまいました。「何もしていない自分に辛くなった」このコメントが気になってしまったのです。散乱する古紙に見て見ぬふりする自分に罪悪感を感じたということなのでしょう。この世の中、悲しいことに道徳や倫理観のひとかけらも無い人間がたくさん存在します。見て見ぬふりに罪悪感を感じてしまったら、少なくとも自分は正直身が持たないです。

正義というものを行動に起こすということは時に生き辛さを生じさせることがあります。大きく称賛される一方で嫉妬や敵対心を抱かれる場合もあります。そこに不安や心配を感じてしまうのです。

しかし、この女子高生の将来には大きな期待を寄せてしまいますね。一切の悪を寄せ付けない正義の塊で成長を続けていって欲しいと願います。20も歳の離れた若者から学びを受けている様では、自分もまだまだ未熟なんだなと思いました。

 

ASKA事件2

もうかれこれ20年以上も前になる。当時中学生だった私は不登校であった。どうしても学校という共同生活には馴染めず、周囲の人間と自分は全くの別物であり自分は特殊であり特別なのだと言い聞かせていた気がする。いわゆる、中二病と呼ばれる状態だったのだと思う。

気まぐれで登校したある日の事である。たまたま通りかかった体育館から聴いた風な流行りの音楽が流れてきた。『今からそいつをこれからそいつを殴りに行こうか』言わずと知れた『YHA YHA YHA』であった。誰かが遊びで流したのか、何かのイベントをやっているのかは分からない。

「フンッ・・・」

その光景を鼻で笑い、両手をポッケに突っ込み早々と帰宅したのを覚えている。

聴いた風な流行りの音楽はどうも自分の肌には合わない。やっぱ音楽といえばこれでしょ。親のポータブルCDプレイヤーにお気に入りのアルバムを入れて聴いていた音楽。それはチャゲ&飛鳥の『SUPER BEST』であった。

そう。YHA YHA YHAの歌手と、ひとり咲きの歌手は別人だと思っていたのだ。

当時中学生であった自分にとって、ひとり咲きは格別であった。特に曲の最後の『ひとり~ぁざぁきぃ~』の部分に何とも言えない快感を覚え、思わず右手に握りコブシを作ってしまうほどであった。

皮肉にもその右手の握りコブシは数年後、聴いた風な流行りの歌『YHA YHA YHA』にて天高く突き上げることとなったのだ。

その後、リリースされるチャゲアスの楽曲には次々と魅了されることとなる。

やはり私の中ではNOT AT ALLが大きな影響を与えた名曲であり、この単語に含まれる『こんなもんじゃないぜ』『それでいいじゃないか』という対照的な二つの意味に一つの真理を垣間見てしまったほどである。

私は20代前半(NOT AT ALL)まではチャゲアス依存症だったのだと思う。チャゲアスが全てであり、チャゲアス無しに自分の人生は語れないとさえ思っていた。しかし、一つの失恋をきっかけに急速にチャゲアスから距離を置くこととなった。

当時付き合っていた彼女もまた一緒にチャゲアスに夢中になってくれた。ライブではもちろん一緒に右手の握りコブシを天高く突き上げてくれた。大好きな彼女に大好きなチャゲアス。この二つの理想に挟まれ幸せの絶頂に達していた時期があったが、不意に訪れる現実という壁にぶち当たり、あえなくロウソクの炎を吹き消す様な終わりを迎える。

辛いとき、悲しいとき。いつも傍にあったのはチャゲアスの音楽であった。

しかし、彼女とチャゲアスがリンクしている以上はチャゲアスは聴くことはできない。チャゲアスを失った自分はチェーンの外れている自転車を一生懸命漕いでいる生き方をしていた様な気がする。懸命に体を動かしても前に進まないのだ。無駄に体力だけを消耗しチェーンの外れた自転車を乗り捨てる。そして訪れる無気力と脱力感。

うつ病・・・この3文字が頭をよぎった。まずい。。。

うつ病かどうかは定かではないが心の病の予兆を感じ取れたのは不幸中の幸いであった。正しい治療法では無いかもしれないが、必死に感情に刺激を与える努力をした。レンタルビデオ屋に向かい片っ端からお笑いのビデオと泣けそうな映画を借りまくる。

とにかく喜怒哀楽を感じることが心のリハビリになるのではないだろうかと考えたのだ。そして新しいことにチャレンジする。ぶらりと立ち寄ったゲームショップ。目に付いたのは囲碁のソフトだった。ルールも全く分からない未知の頭脳ゲームに没頭してみよう。途中本屋に立ち寄り囲碁の入門書も購入した。

一連の行動が功を奏したのか、無事、失恋とチャゲアス依存症の後遺症から立ち直ることができたのだった。

日本人は世界的に見ても特殊な人種で、無宗教のひとが大多数を占める。しかし信じるものが無いという訳ではないのだ。人によっては道徳であったり人によっては過去の経験であったり、もちろん仏教等の特定の宗教だったりもする。そして私の場合はチャゲアスの音楽であったと思う。

これは私の持論だが、信じるもの(宗教、道徳、チャゲアスの音楽等)は心の支えにしてはいけないと思う。

このようなことを言うと多くのチャゲアスファンは眉をひそめてしまうかもしれませんね。しかし、私の経験上、心の支えがある以上は自立をしていないという事に他ならないのです。一連のASKAさんの薬物事件。以前の私であれば相当堪えていたでしょう。

今の私にとってのチャゲアスASKAさんの音楽は心の支えではなく心の栄養です。支えられるのではなく学びとるものです。ASKAさんから紡ぎだされる歌詞(言霊)にはつくづく考えさせられる。先日、発表された楽曲『FUKUOKA』も素晴らしく、独特な情景描写に思わず溜息をこぼしてしまったほどだ。

しかし、一連の薬物報道に関して私はASKAさんを完全に信じることはできない。アンナカや睡眠薬など合法薬物であっても常用していれば薬物依存です。「覚せい剤なんかやっていない、見ていない」の言葉の裏には違法薬物でなければ問題ない・・・と読み取ってしまう自分はひねくれているのかもしれませんね。

しかし、ASKAさんがこれまで残した功績や今も根強い人気を背負うとなると自立するには計り知れないメンタルが必要とするだろう。薬物に頼ってしまっても仕方ないとも思えてしまう。それだけに世間もマスコミも無責任にASKAさんの人権と名誉に傷付けることに怒りを覚えるのはファンとしては当然だといえる。

チャゲアスファンである私に今出来ることは薬物報道からは距離を置き、ミュージシャンとしてのASKAさんを信じて見守る事だけです。今後発表される楽曲とASKAさんのパフォーマンスに期待したいと思う。

そしていつかまた、聴いた風な流行りの歌『YHA YHA YHA』にて右手のコブシを天高く突き上げる。そんな日が来る事を強く願っています。

 

 

 

 

 

 

ネガティブな一年

今年も様々なことがありましたね。

震災、不倫、薬物、オリンピック・・・

オリンピックは別として、自分はやっぱりネガティブなニュースが記憶に残っています。

個人的に腑に落ちていないのは、やはりベッキーでしょうか。とあるテレビ番組に出演した際『心が通い合った時点で不倫だと思います。』と発言されていた記憶があります。心が通い合った時点では不倫ではないですよ。複数回の肉体関係を持った時点で不倫です。ちなみに1回の肉体関係では浮気だそうです。実際、本当に不倫していたのでしょうか。正直・・・どっちでもいいんですけどね。。。何事も真実は当人のみが知りえることですし。

 

日本は平和な国です。本来ならばポジティブなことで溢れかえっているはずです。空気や水と同じくらいポジティブなことで溢れているはず。それだけにネガティブな出来事が目に付きやすいのでしょう。

なんというか、ネガティブなニュースが記憶に残る自分は幸せな一年だったんだと思います。

 

仕事が辛い。自殺しよう。

タイトルの様な発想を抱いてしまう人はしっかりと猛省して頂きたい。すでに自殺してしまった人も。

もちろん、自分の主観的な意見であり、自殺を選択した人の心情なんて全く理解できないですよ。

悪者は企業と社会であるような風潮があるみたいですが、自殺した本人が一番罪深いです。仕事と命、どちらが大切かと問われれば大勢の人が命と答えるでしょうに。

ですので無理やりにでも善悪の線引きをしろと言われれば被害者は企業、社会、残された遺族であり、加害者は自殺した本人なのです。

過労死なんて表現が使われてますが、会社が監禁して無理やり働かせていた訳ではないでしょう?会社に出勤していたのは本人の意思です。洗脳されていたとしても本人の意思。死ぬぐらいなら辞めればいい。携帯の番号を変えて次の日から突然来なくなってもいい。笑われたとしても生きた方がいい。多くがそう思う。結果論と言われればそれまでですが。

ここまで熱くなってしまいました。少し落ち着きたいと思います。

自殺を助長させる社会や環境に問題がないとは言いませんが、自殺する必要は全くありません。仕事が辛ければ転職すればいいし、多額の借金があるなら自己破産、仕事に就けなければ生活保護があります。回避策、解決策はいくらでもあります。

最後に哲学者で有名なソクラテスの名言を一つ。

『生きるために食べよ、食べるために生きるな』

私たちは生きるために仕事をしているのであり、仕事をするために生きているわけではありません。

 

 

 

 

3年で決まる人生

人の人生は0歳から3歳の間に育った環境でほぼほぼ決まってしまうという話を聞いたことがあります。

0歳から3歳の間に親が一番かけてあげる言葉が『ダメ』と『あぶない』らしい。

これがおよそ5万回に及ぶというのだ。このような言葉を聞いて育つ子供は安心と安定を好む人間に育つらしい。これは決して悪いことではない。ただ、環境の変化を恐れずに大きなことに挑戦する様なことはしなくなるという。転職するとか脱サラして起業するとか大きな変化を嫌う傾向があるというのだ。そのかわりに堅実な人生を歩み続けるという利点もあります。

この『ダメ』『あぶない』と同等もしくはそれ以上に『頑張れ』『やれば出来る』等のポジティブな言葉をかけてあげた子供はどのように育つと思います??

大きな夢に向かって積極的に挑戦する人間に育つというのです。億の収入を得ることもあれば億の借金を抱える可能性も否めないですが。。。

聞いた話によると孫正義さんは『おまえは天才だ』なんて言葉をかけられて育ったとか。。。

もしこの話が本当だとすると0歳から3歳の間は日本国でいうところの憲法(無意識・潜在意識)を作ってる期間ともいえそうです。憲法が出来上がればそれに反した法律(顕在意識・性格・言動・行動)は作れないことになります。ちょっと分かりづらいでしょうか。。。

これから出産を控えている女性は上記の事を詳しく調べてみる価値はありそうです。

この記事は参考までに。悪しからず。

 

ASKA事件

11月28日夕方に衝撃なニュースが流れた。
 
ASKA逮捕。
 
その知らせを聞いたのは友人からのLINEであった。
つい前日にASKAのブログにて新曲の発表を知ってワクワクしていた矢先の出来事だったので、それはそれは驚きでした。すぐにネットニュースを確認すると『逮捕』ではなく『逮捕状の請求』であった。そしてすぐさまASKAブログに直行。事の真相を探ると本人は断固否定。
う~ん。。。
逮捕状請求の時点でマスコミに情報が流れるものなのか??しかも第一報はNHKとのこと。そして当の本人は否定。
こりゃデマだわ。。。

しかし時間が経つにつれ報道陣がASKA宅へ集結。そして警察車両到着。

ASKA逮捕。

開いた口が塞がらないという初体験をこの歳で経験しました。

結果、20日間の拘留の末に不起訴となったわけですが皆さんどう感じたでしょうか?

自分はASKAファンですのでASKAサイドに立ってマスコミの報道を目にするわけですが、疑問ばかりが湧き上がってくる。

タクシー映像の件や車のエンブレム破壊等は論外として、一番気になったのは起訴もされていないのに犯罪者扱いしてた事だ。すべてのマスコミとは言いませんけどね。

逮捕されているので被疑者(容疑者)であることは間違いないのですが、起訴され裁判にて有罪判決が出るまでは犯罪者ではないと自分は認識しています。

一部のテレビ番組では薬物犯罪の有識者まで呼んで覚せい剤の恐ろしさや後遺症を語ってたりもした。

まだ起訴もされてないですからね。。。

犯罪者の可能性を報道するなら本人が否定している以上は無罪の可能性も報道してもらわないと。所々に「ASKA容疑者は否定しています。」なんて挟み込んだら嘘ついてる様にみえるでしょうに。(嘘ついてるかもしれないけど)

結局不起訴となった今、彼についた再犯イメージは誰が払拭するのでしようか?マスコミが謝罪します??

今回のASKA事件に関しては自分がファンであった為、ASKAサイドに立ってマスコミの報道を注視したから見えたものです。もしかしたら日常茶飯事なのかもしれないですね。

ちなみに自分はASKAさんを完全に信じているわけではありません。尿検査でお茶出すとか大人のやることではないですよね。

今回のマスコミの報道に関しては疑問点が多くいろいろ考えさせられました。